あっこブログ

小学校で非常勤講師&3人のママの奮闘記 

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崩れてゆく図工の時間

今日は、以前にの記事のつづき…

 

 

テーマ「崩れゆく図工の時間」

 

 

あの、丸投げの卒業制作の授業…。

 

 

私は、少なくとも、

「彫刻刀を使う以上、ケガをさせてはならない。適切な彫刻刀の使い方を指導して、

そのためにも教師は教室を集中できる空間にする必要がある。」

と思っていました。

 

指導者はもちろん、私のような立場でも、最低限必要なことではないかと。

 

 

 

さて、子ども達はどのように変化していったでしょうか………。

 

 

 

先週の図工の時間。

 

2時間通しでの図工。

2時間彫刻刀を使い続けるには、集中力もなかなかもちません。

 

 

子ども達は、

 

 

席を立って友達の場所へ移動する。おしゃべりをする。(この行動を良しとする指導の先生がどうかと思ったりもしている)

彫刻刀の使い方があきらかに間違っている……等。

 

 

これらの行動は、実によろしくない(本音は、級外の先生の指導力のなさですね)。

 

 

私は、子ども達の気になる行動を、ケガへ結びつくことと結びつけながら、

個人的に、少しずつ指導していました。

 

 

当然ながら、

ぴたっとなくなりません。

 

 

こんな立場ではあるけれども、

指導者の先生には申し訳ないけれども、

授業前に一度話をするべきではないかと思っていました。

今週の図工に備えるべく、あれこれシナリオを考え、

 

 

さあ、今週の図工の時間。

いざ教室へ。

 

 

が、

 

 

そのクラスに行ってみると……

(図工の1時間目は、他のクラスの指導だったため、図工の2時間目に行く)

 

 

先週よりもよりひどい状態。

 

 

(な、なにこれ?)

 

 

すると、指導されている級外の先生が私の所へ来て,

 

「図工の進度の差が(指導者に工夫不足だど思うが)ものすごく開いたので、

できた子は、家庭科の小物作りにとりかからせることにしました~。」

 

 

(な、なに!?)

 

 

この先生は、このクラスの図工と家庭科をかけもっています。

 

家庭科の小物作りの丸投げ指導をまたぶっかけたのです😱😱😱

 

 

指導がなされないので、

子ども達は、説明書を一生懸命開きながら、自分で解読しようと、こうなのかなと何となく不安の中進めています。

 

 

こんなことあります?

 

 

裁縫の初心者の私が、裁縫の説明書を読んでも全然解読できなかったことを

ふと思い出しました。

 

 

子ども達に分かるわけがありません。

 

 

 

「図工の丸投げ×家庭科の丸投げ」

 

 

 

ぎゃあああ。

私には、手に負えません。。。。

(力不足で申し訳ない…)

 

 

担任でもない学習支援側の私が、

この状態から、話を聞けるような空間に変化さられるわけありません。

 

 

 話をすること自体難しいのに。

 

 

結局、断念。

 

 

 

教室は、わっちゃわちゃ。

 

 

やはり、教室の教壇に立つ人が、

ビジョンを持って子どもたちと関わらない限り、授業は、何も変化しない。

 

 

一番困るのは、子ども達。

 

 

子ども達、ごめんなさい。

 

 

 

つづく…

 

小学校のなぞのルール

小学校では、学校のルールがあります。

生徒指導から出されます。

 

今回は「なぞの学校のルール」の話。

 

 

勤務校の6年生の教室は、3階。

階段をてくてく上って教室へ向かいます。

 

私は、一段とばしで、しゅっしゅと上がっていくスピード感が好きで、毎日そうやって過ごして、ごくごく小さな満足感をえていました。

 

あるとき、

 

「あっ。先生1段飛ばし、だめですよ」

 

 

とある女の子に言われたことがあった。

 

 

「?えー!どうしてですか??」

 

よくよく聞いてみると……。

○○小学校のきまりにあるらしいのです。

 

なぜ?ダメか?聞いてみると…。

 

危ないからだそうです…😅

 

 

子ども達が安全に学校生活を送るため、社会規律を学ぶためにルールは必要でしょう。

 

一般的に階段の1段飛ばしは禁止なのでしょうか……。

 または、子どもだからダメなのでしょうか。

それを見た教師が、「危ないぞ。転ばないでよ。」と声をかけるだけじゃ足りない?

 

ルールにする必要性が見えないまま、その女の子の前では苦笑いでした。

 

 

謎は深まる……。

 

勉強の余地がまだまだある

 

 

 

 

めあてって必要?

この市(多分)は、授業のはじめにめあて、課題というものを設定します。45分の目標?みたいな?ものです。

 

今回は、「めあては、必要ない」です。

 

 

例えば、算数。

 

「図を使って考えよう」

「重なりに注目しよう」

 

など。これを開始約5分でノートに書かせます。

その後読ませる。(この内容自体が分かりませんが…)

 

次に、教師が問題を板書し、子ども達がノートに書きます。

ここまでで約10分強。(全員できていないときも多々)

 

 

 何をするのかはっきりしないめあてを書き、読み、問題を書く。

 

これ、何か学べていますか?

 

 

私は、毎日ある算数の時間、T2として指導に入っています。

この空白ともいえるこの時間が無駄に思えてしかたがありません。

 

 

少なくとも、前の県ではありませんでした。

それが、現在の県では突然登場し、あたかもこれが「普通です」というように

どの教師も使っています。

 

はじめは、

「そうかそんなやり方もあるのね」と

「勉強になるー」と思っていました。

 

 

しかし、疑問を持つようになりました。

 

 

ノートにきちんとめあてと問題を丁寧な文字で書いている子が、

その単元を習得しているかというとそうではないのです。

 

書けていない子が、しっかり習得していることも少なくありません。

 

書きなさいと比較的強い指導で、

書かせているけれど、学力に結びついていない。

 

 

もしかして、めあてって必要ない?と思い始めました。

 

そして、「必要ないな」と思った決定的な授業がいくつかありました。

(また投稿します。)

 

 

6年生だからといって、かけ算、わり算、完璧な子ばかりではありません。

少数、分数が出てきた瞬間に混乱する子もたくさんいます。

10分もあれば、

8、9の段のかけ算を唱えてもまだまだ余ります。

小さなプリント1枚して答え合わせまでできます。

 

 

そのほうがよっぽど学力に結びつくのではないか。

 

 

学びました。

 

私は、この先授業で「めあて」使わないでしょう。

必要だと学校の研究で言われたら、

教科書に書いてあるし読んで終了(10秒)にしたい。

 

 

つづく…

 

こどもから見た教師の姿

子ども達は、いつの間にか休み時間に、

これまで出会ってきた教師に対する不満を語るようになりました。

苦しんできたこと、耐えてきたこと、様々です。

 

今回は、

見えてきた「子ども目線の教師の姿」

です。

 

 

私は、「つらかったね。」

「そうかあ。」

「それは、ひどいよね。」と。

 

どの話に対しても私は、同意しかしません。

否定は絶対にしません。

私には到底分からないつらい思いをしているのは、子どもです。

それを、何も知らない私が安易に否定することはできません。

 

もちろんその教師の批判はしません。

 

 

当初、肯定しながら聞いていいのかと自問自答したこともありました。

 

でも、子どもたちが、自分の話を聞いてくれる教師がいることによって

少しでもストレスが軽減されるのであれば、どんどん聞くべきだと

考えます。

子どもは間違っているわけではなく、

教師に否があると思っているのが前提にあるから聞いているのかもしれません。

 

 

 

これまで聞いてきた内容を簡単にまとめてみると、

 

 <子どもからみる教師に対して不満な姿(子どもの言葉を使って)>

注:あくまで私の今の勤務校での話。そんな教師いるんだー程度に読んでください。

 

<授業編>

・頭の良い子だけあてる(「差別」という言葉を使う)

・分からなくても教えてくれない

・習字の市への代表作品をあらかじめ上手な子(勝手に判断して)に書かせる

 (「差別」という言葉を使う)  

・教師の小さい頃の話、子供の話など授業に関係ない話が多く、しかもたいして面白くないし、頻度が高い。

・教師の好きなキャラクターばかりをあちらこちらで登場させる

・授業をしない(国語の時間に自分の話をして終わる)

・授業が進まない

 

<生活編>

・友人関係でのヘルプを出しても何の対応もしてくれない(1,2回ではない)

・委員会の先生が、次の日の提出期限を渡してくる(毎回)

 

 

重要なことは、

「これらのことを決して表に出すことはないということ」

だと思うのです。

 

「先生、授業分かりません!」

「先生、その話要らないから授業してください」

「先生、今は国語の時間なので国語の授業をお願いします。」

 

 

言えるわけありません😅

 

 

子ども達は、これまでの学校生活で我慢の仕方を覚えています。

 

明らかに不満気な態度を出す子ももちろんいます。

 

高学年女子はほとんど出しません。

 

 

子ども達は、

先生に対して、不満や疑問に思っていることがあっても、

黙って先生の話や授業を聞いている。

我慢しているのです。

 

 

 

つづく…

 

 

 

職員室での給食風景

こんにちは。

 

今回のテーマは、「驚きの光景 IN 職員室」をつづります。

 

 担任の時は、給食で子どもたちと給食を食べていた私。

 職場復帰してからは、非常勤講師の立場上、職員室で食べることになりました。

 小学校では、担任以外の教師は、職員室で給食を食べています。

 

 

 

 

非常勤講師になって1年目の小学校にて。

 

 

①あれ嫌これ好きおばさん教師。

配膳している事務の先生に、

「きのこなしのをつくってください」    (な、なに??は?)←私の心の声

「ナスなしをつくってください」(また?逆に盛るぞ!)

「魚はいりません」    (ついに拒否?)

 

あれ嫌これ嫌。

 

ということは、反対のことも言うわけです。

「カレー、多めにお願いします」   (?)

「炊き込みご飯たくさんいれてください」     (…)

 

あれ好きこれ好き。

 

好き嫌いがあるのは置いておいて、

あれ好きこれ嫌いとこれから食べようとしている皆様の前で平気で発言する。

周りが気持ちよく食べられない。

 

私だったら、黙って、弁当持参します。

 

 

 

 

②牛乳飲まないおばさん教師

 

これ、職員室でわんさかいます。今の職場も前の職場も。30%くらいはいますかね。

 

職員室の冷蔵庫にいれておき、

帰宅時にお持ち帰りです。

 

 

③パンお持ち帰りの皆さん

 

これ多分半分以上いますね。

 

机の引き出しにビニール袋を入れておいて、食べられないパンをポイっといれて持ち帰ります。

 

 

これが職員室の現状です。

 

 

 

これらが教室だったら…

 ①については、クラスにいるやんちゃ君と同じ。

給食当番に好きなものは多めによそわせたり、嫌いなものは少な目によそわせる。

このような子は、がっつり担任の指導が入るでしょう……。

 

 ②については、どうしても飲めない子は残している。

(アレルギーのお子様も増えてきていますし)

好きでもないけど、勝手についてくるから仕方なく飲んでいる子どもも多いでしょう。

 

③については、パンに限らず、お残しに関しては、どうしても食べられないものは残していることと思います。我慢して食べている子どもも多いでしょう。

 

 

同じ給食を食べていても職員室では、

 

①嫌なものは嫌々、好きなものは好き好き、自由に発言している。

②牛乳に関して、飲めないのか。飲みたくない?ごはんに合わなから?満腹だから?よくわからないが、飲みたくないなら飲まなくてもよい。

③比較的、自分の体や好みにあう適切な量を自分で選択することができる。 

 

親目線だと……、

栄養バランスの良いとされる昼食を出してくれることは、ありがたいですが。

 

 

そもそも、アレルギー体質の子どもが増えてきている。

好き嫌いだけでなく好みもある。

水分に浸ったごはんがどうしても食べらないなど。

世間では、自分に合う食を選択できるのに、職員室でさえそうなのに、

教室という箱の中に入ったとたん、

一律のメニューを当たり前のように与えられる。

 

この光景…。どうなのか…。

 

 何かものすごくひっかかるこの事実を解明するために勉強中。

 

もう一度、給食の歴史から。

なぜ給食なのか。なぜ牛乳なのか。他国のランチの様子…。

食べ残しの量なども。

 

 

また投稿します。

 

何かご意見があれば、

ぜひお聞かせください。

教えてください。

 

 

 

 

 

つづく…。

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽の授業①

今回は、

「小学校における合奏、まさかの指導」

について

 

 

まもなく、6年生は卒業を迎えようとしています。

 

2月。

勤務校では「6年生を送る会」という行事が行われます。比較的行われる行事のひとつではないでしょうか。

いわゆる、6年生いままでありがとうの会です。

 

1~5年生が、合奏、合唱、劇……等を6年生へ向けてプレゼントします。6年生は、下級生に向けて。

これは、小学校によってバリエーションがあるでしょう。各学校力の入れ方も様々……。

保護者の出入りのある学校もあるようです。

 

 

さて、私の勤務校では、6年生は、合奏をすることになりました。

 

 

大きな指導の流れですが……

①6年生を送る会では、この曲やりますよ

②各担当パートの決定

③楽譜の配布

④各自で練習してねー

 

えっっ???

 

この指導内容で、できない子ができるようになるか??

 

びっくり。

 

 

指導はほぼしてません。

指示のみ。

 

 

しかも、音楽を担当されている教師は、指導教諭。いわゆる学校全体の教師に対し、授業の指導する教師です。

研究の方向性を示したり、新任教師指導を行ったり…。

 

もう、がっかりです。

いつも何となく偉そうな雰囲気だしているわりに、この指導内容ですから。

 

 

できるようになるしかけがあるのか?と探しました。

 

 

たぶんありません。

 

 

楽譜やリズムが全くわからない子はうじゃうじゃ…。そのような子同士で同じ楽器です。

 

 

しかも、選曲の難易度が相当高い…。

 

 

何をさせたいのかビジョンが全く見えないです。

 

 

でも、子どもたちの困った姿だけが想像できました。

 

私は何をすべきか…。

 

 

結局、私も指導に入ってもよいか許可をいただき、

毎時間の音楽に入らせて一緒に指導させてもらうことにしました。

 

 

思い起こせば……、

同じような光景が以前にあったような……

 

つづく…

 

コンプレックス

 

 

今回は、「教師にとってはいつの間にかのコンプレックス」

 

この立場になって、小学校では、教師が何気にしていることに対し、子どもがひどく傷ついることがあることを学びました。

 

その1つが、

 

「図工の作品の掲示」です。

 

ある図工の時間。

机間指導をしながら、ふとある女の子が、

「私、どうせ絵のセンスないんだよね。」

と恥ずかしそうに、画用紙の上に腕をのせて隠した。

「いや、ここの色使い良いよ。」

 

でも、女の子は、私の言葉を信じません。

「でも、先生ほんとは思ってないんでしょ。」と。

 

これまでの5年間の学校生活で、

「先生はみんな、絵が上手な子を廊下側のみえるところ、たいしたことない子は教室内に張るんです。どの先生もみんなそう。」

ときっぱり。

 

どきっとしました。

 

「私は、たいしたことないからいつも教室にはられるんです」と。

「絵のセンスないんです」と。

「差別です。」

 

私は、うなずくことしかできませんでした。

 

 

 

教師が知らないうちにコンプレックスを持たせてしまっていたのです。

きっと教師は、それが普通と思ってやっていたことでしょう。

でも、子ども達は、掲示を評価としてみていたのです。

 

こんな残酷なことはない。

 

確かに私も図工の作品は、芸術家でもない勝手な判断基準で作品を選択し、

掲示しているし、していた。

 

それは、通る人にみせる絵であり、いわゆるかっこつけ。

これによって、子どもがコンプレックスを持つのなら、

掲示の方法、掲示自体を掘り下げて考えるべきだと。

 

1人いるということは、もっともっとそのような子どもがいるはずです。

教師が、その子ども達の能力をつぶしているのです。

 

 

教師として考えさせられる場面。

 

 

 

つづく…