あっこブログ

小学校で非常勤講師&3人のママの奮闘記 

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卒業制作?②

 

今回は、「培ってきた指導力?」

 

 

このクラスの図工の授業は、「級外」が担当しています。

「級外」とは、担任を持たない教師のこと。級外が、担任指導以外の授業を指導します。

 

・退職後、再雇用された大ベテラン教師(新任の教育担当にもなる)。

・年度途中で産休に入られる教師。

・年度途中に育休から復帰された教師。

・短時間勤務を選択された教師。

などがなられます。

 

小学校では、担任が全ての教科を担当することは少ないと言えます。

2年生から少しずつ他の教師が担当する教科が増え、高学年になればなるほど増えます。

 

例えば、今、関わっている6年生は、

あるクラスは、書写、社会、音楽。

あるクラスは、家庭科、図工、音楽。

 

これらの授業を「級外」と呼ばれる教師が担当しています。

教頭、教務、公務なども授業をしている学校もあります。

 

来年度からは、高学年の教科担任制が始まり、

少なくとも高学年は、担任以外の授業が増えてくるでしょう。

 

さて、このクラスの場合、再雇用された大ベテランの教師の

「級外」が担当しています。

 

……。

 

大ベテランの教師がこのような指導(卒業制作?①)をしているんです。

(これも問題ですが、話がそれるので置いておきます)

 

 

あたかも「これが普通です」のような感じ。

何十年も積み重ねてきたのでしょう。

でも、できない子は、ずっと「置いてきぼりです」になっている指導の積み重ねをしてきたということです。

 

 

この級外の教師は、人間的にはおおらかで優しそうなおばちゃま教師です。

はきはきして元気もあります。意地が悪そうという感じはありません(私の見方です)

深くは関わっていませんが、話の仕方、教室での子供たちへの話し方、

とても感じがいいです。人間的には一般的にいい人って感じです。

 

 

でもでも、やはり、おかしいと感じます。

 

 

できないを子どもの能力のせいにします。

「Aさんは、不器用だから。」

「Bさんは、話を聞いていないから。」

 

 

いやいや、不器用でも誰でもできるようにさせる、話を聞かせるのが教師の仕事じゃないですか?(大ベテランとの会話で心中で思いつつ言えない…)。

 

って、考えがあったらオルゴールは選ばないと思いますが…。

 

私のような指導補助をする教師がいるからそうさせている?

いやいや、考えていませんね。

 

いつものやり方、毎年恒例の作品つくり。

そこへ今年たまたま私がいるという感じですね。

 

 

ひどい。

 

 

案の定、

教室は、分からない子であふれていきます。

3分の1は、分からない空気感いっぱいです。

 

が、子供は、「先生!わかりません!」とは言いません(5人くらいは言いますが)。

みんなの前で、先生に向かって言えるわけがありません。

 

 

そこで、私は、分からない子へ声をどんどんかけることにしました。

 

「大丈夫?」

 

 

その声に、子どもは「ここ教えて」という子にはいます。

 

下書き線の引き方→

一緒に定規をあてて、1cmずつこうやって点をうつんだよ(やってみせる)。この続きは、自分でやってみよう。数分後、さりげなく見ながらチェック。

 

彫刻刀の使い方→

・鉛筆の持ち方で。左手は、手の下。彫刻刀の先には絶対置かない。毎時間さりげなく見てチェック。

・この模様は、三角刀でこうやって(向きと深さをやってみせる)彫っていく。この続きは、やってみよう。数分後、さりげなく見ながらチェック。

 

などなど。

 

 

が、その声にも反応が薄い子も絶対にいます。

また、「大丈夫です」と言いながら大丈夫そうじゃない子もいます。

 

その場合、

近くに寄って、できていればOK。

あきらかに迷って分からない子には、どこが分からないのか、様子を見ながら分析して(難しいですが…)、

「ここは、こうだよ。」

と直接声をかけるようにしました。

 

 

1つ教えたら、また1つ、また1つと、階段を手をつないで上っていくように

お手伝いの必要な子もいます。

一つ一緒に上ったからといって、自分で2段も3段も上れないのです。

いて当たり前で、教師は必ず対応していく必要があると思います。

 

このような子に対しては、机間指導しながらどんどん困った感を察知して、

どんどん声をかけるようにしていかなくてはなりません。

 

 

 

そもそも……、、、

課題が超難しい木彫りのオルゴールという設定なのが問題ですが、

やるのだったら、細かい指導が必要なのに、丸投げの指導。

 

 

日々、毎年こうだから、周りがこうしているからの考えない指導の行く末が、分かった気がします。

 

この、1番の被害は子ども達です。

 

 

でも子供たちは、こうして必死で頑張っています。

 

私は、「分からない」を少しでも分かるに変化させられるようにしていきたいと思っている。

 指導補助的な立場だからこそできることなのかもしれない。

でも、まだまだ「分からない」を心に秘めている子どもがたくさんいるように思っています。

 

 

私なりに努力していく。

 

 

 

 

次回へ続く…。