新クラス 宿題は???
今回の学校の5年生、宿題の内容。私の仕事の一つである宿題チェックから見えてきたものなど綴りたいと思います。
目次
宿題の量
平日
・漢字ノート1ページ
・計算ドリル番号1つ(たまに算数プリント1枚)
・自学1ページ
休日
・平日の内容+プリント一枚(結構重たい)
漢字指導は、よくあるキャラクターのついた長方形型の漢字ドリル、付属のノート、漢字練習帳の3つを使用します。
授業では、全く漢字指導をされていません。
担任の先生からの指示は、
「夏休み前までに、自分で終わらせなさい。」
です(いろいろ思うことがありますが…)。
詳しくは、前者2つの教材を自分で終わらせろです。後の漢字練習帳を宿題で毎日出されます。
計算ドリルも、授業では全く指導されません。
授業進度に合わせて、宿題に一つの番号を出されます。
自学は、各自で、各教科の授業の復習、漢字練習、ことわざ調べ、階名のテスト(音楽で使用)など、自分で内容を決めて解いてきます。
担任の先生との打ち合わせ
宿題のチェックは、私の毎日の仕事の1つです。
どのようにチェックしたらよいのか担任の先生と打ち合わせをしました。
未提出はどうするのか。
答え合わせは子どもにさせるのか。
漢字の間違えをなおさせ、当日中にチェックするのか、次回の提出時でいいのか。
など。
宿題のチェックの内容(打ち合わせ結果)
漢字ドリルは、評価をしてほしいとのこと(びっくり!!)
詳しくは、AAA、AA、A、B◎、B〇、B、C。
Cは再提出だそうです。
これほど細かい評価は、正直つける側もとてもつけづらく、評価基準が分かりません。AAAは、この上なく美しい! AAは、とても最高!など…。
実にあいまいな方法でお願いされました。 困った……。
間違えた漢字は、チェックを入れて付箋をはる。
計算ドリルは、答え合わせをしてから提出。間違いがあれば付箋をはる。
自学ノートは、特に担任の先生は何もおっしゃらなかったので、
くるくると丸をしたり、間違えを直したりして、コメントを一言入れて返却するようにしています。
子ども達の宿題の様子
漢字ノート
子どもが一生懸命書いたつもりでも、評価としてBがついてしまう。
子どもは「なんで??」と、やる気を失いかけてしまっていた子もいます。
中には、AAAを目指して1ページものすごい丁寧にやっている子どももいます。
やる気につながる一方で、喪失につながってしまう子どもがいるのが現状。
喪失につながってしまう子どもが一人でもいるのであれば、やめたほうがいいかと思う。
が、担任の方針なので、やめるわけにもいかず。
試行錯誤中。
計算ドリル
答え合わせをしてこない、できない子どもが20%ほど。毎日です。
これをどう指導されるのかと思いつつ、その指導はされない様子。
結局、宿題の目的は何なのか?
宿題は、やれる子はやってきたらよいよの出され方なのか、全員提出せよという出され方なのか。宿題を通じて、学力をつけようとしているのか。何となく出さなくてはいけないものだから出しているのか。
担任の先生の出し方は、かなり重要であると思う。
未提出者に指導しない。答え合わせは要求しているが、してこない子どもに対して指導はしない。であるならば、授業で、宿題で出す内容を完璧に指導しておくべきではないだろうか。
しかし、
今回の担任の先生の宿題の出し方は、授業では扱わない漢字練習や、計算練習。
これは、本来なら授業時間内で扱うべき内容で、全員ができるよう努力するべき内容であり、それをするのが教師の仕事。
もし、これを宿題にしているのであれば、できるまで指導するべきではないかと思いつつ、未提出者や答え合わせをしていない子どもにはどう指導するのかと思いつつ、
それは宿題にするべきではないと思いつつ(少なくとも、私はしません。)。
家庭に投げつけてそのままというのは、あまりにも子どもに対して雑な気がしてなりません。
担任の先生が、私がしているチェックをどのように活用していただいているのか。
結局、私の立場上担任の先生の方針に従うしかないので、
困っています。
が、何とか試行錯誤しながら、こどもへの最善を探します。
新しい学校へ
今年度、新しい学校へ赴任しました。
働き方は同じ。
市の方針である「きめ細やかな指導」をするために、
1クラスの人数が40人近い学級への赴任させられます。
授業で分からない子へ指導したり、宿題のチェックをしたり、担任の先生の事務的なお仕事のお手伝いをしたり。
今回の学級は5年生37人。
担任の先生は、穏やかで10年近いキャリアのある男性の方です。
同じ市の学校、これで4校目になりました。
1校目は、担任を持ち自分のクラスを運営していくことに精一杯でした。
2校目、3校目、4校目。
担任ではなく、非常勤として勤務する中で、客観的に教室での指導を勉強することができる立場になりました。
どの学校の教室でも、
教師の指導方法に対して、????に感じてしまう出来事がとても多いです。
分からない子ども達が置いていかれる。
今回の学校、学級でも、
3日目にして???だらけです。
学校ってこんなことだらけなのと残念に思いつつ、
これは、子どもに良いことはないと思いつつ、
再度、担任として働かせていただける時には、これらの学びを生かそうと思いつつ。
今年度、担任の指導方針に沿って動かなければならない私は、
働きづらい一年になりそうな予感いっぱいです。
計算ドリルの使い方とその結末
学年最終月を迎えようとしています。
勉強も仕上げの段階に入り、各問題集を仕上げて提出の時期に入りました。
問題集の一つの計算ドリル。
ここでは、使い方の違いで勉強が苦手な子にどのように影響があるのかをつづります。
勤務校では、6年生2クラスあります。
教材は、共通していますが、担任の先生によって使い方が異なっています。
2クラスの様子を並べながらつづります
使い方
<クラス1>
・原則、授業中は使わない。
・学校で勉強した内容に対応した番号をその日の宿題とする。
・全部やれてしまった場合、2回目を解く。
<クラス2>
・原則、授業では使わない。
・単元のテスト当日までに、テスト範囲内までを宿題として自分でやっておく。
苦手な子の場合どうなるか。
大多数の子ども達は、自分で問題を解いて提出することができています。
問題は、算数が苦手な子どもです。
各クラスにいる苦手な子ども達はどうだったでしょうか。
<クラス1>
・未提出が毎日続く。
→これに関して、担任の先生は何も言わない。(分からなくてやっていないことを把握しているから。)
・たまってくると、あるとき急に「ここまで学校でやるように」と、指示が入る。
→休み時間に1人、机に向かっている。分からないので進まないし、やる気も起こらない。
<クラス2>
・分からないので、何ページも未記入ページがあるため、未提出になる。
→担任の先生に未提出時に「やってこい。」と言われる。
「計算ドリルをやれた子から授業終わり」という指示で、休み時間も分からないドリルに向かって鉛筆を持って座っている。
2クラスに共通していることは、
・未提出の子どもは、休み時間を使って学校で解くということ。
・未提出の子は、算数が分からない子が多い。
結末から考えられること
①わからない子にとっての計算ドリルの宿題は地獄である。
休み時間に、分からないために解くことができない計算ドリルの前に、ずっと座らされてやっている。一方では、他の子ども達は楽しそうに遊んでいる。
提出していないとはいえ、おかしな光景に、私は、とっさに答えを教えて、
「遊ぼう!」と声をかけた。
②分からない子、宿題を出さない子というレッテルを張ってしまう。
このまま、続けていても決して算数ができるようにはならない。また、
この光景は、他の子ども達に算数が苦手な子や宿題を出さない子というマイナスな見方をさせてしまう。
他の子に気づかせないようにすることも教師の大切な役割であると考える。
まとめ
計算ドリルは、宿題にしないほうがよいのでは…。
計算ドリルの宿題は、算数ができるようになるためのツールとして使える子はもいれば、できない子もいる。できる子は、さっと解くことができる。一方で、できない子は、ハードルが高く時間をかけても解けないこともある。だから、出すことができない。
計算ドリルは、全員提出が義務付けられる宿題で使うものではないのではないか。もし使うならば、授業内で答えまで確認してから、宿題として出すべきはないだろうか。
こどものつぶやき③~一回も触らせてもらえなかった~
ある体育の後の子どもの声。
今日のつぶやき「1回もさわってない…。」
体育の授業の後、
ふてくされた顔をした女の子。
話を聞くと……、
バスケットボールで、一度もボールを触らなかった。
つまんない。
たくさんボールを触っている子のことを否定する。
教師は、こんな子どもをださないようなルールの工夫を常に考えるべきだと思います。
子どもは、教師のせい、ルールのせいとは思っておらず、
触らせてくれないクラスメイトに批判の目を向けます。
あたらめて、考えさせられた一言でした。
こどものつぶやき② ~限界です。ストレスたまる~
今日のつぶやきは、「限界です。ストレスたまる」
6年生女子(女の子)
今日の休み時間。ふてくされて不機嫌そうに窓側の窓に寄りかかっている女の子(Aさん)が私を見ています…。
(あっ。何かあったな。)
私が、少し近づくと、Aさんは手で小さな合図。
来てきてと手を上下に振りました。
Aさん「先生、限界です。ストレス溜まる…。」
話の内容は……、
あの図工と家庭科の入り混じる時間。
AさんはBさんと共に家庭科の縫い物をしていました。
Aさんの机の向かい側にBさんが机を合わせています。前の投稿にもありますが、みんなわいわいと自由にやり始めているという時間になってしまっています(詳しくは前の記事で)。
が、
そこへ、担任の先生が登場。
「おい、そこで何してるんだ。やっていないなら外へ行け」
(私は、隣のクラスの算数に入っていたので聞いていませんが、Aさんからの話)
と言われたそう……。
Aさんの胸の内として、
・家庭科の内容はしていた。
・したくないわけではない。
・教えあってやっていたので何故ダメなのか分からない。
・隣で話をしている子には注意しない。
のに、何故か自分が叱られる…。
外へ行けと言われてしまう…。
Aさんは、当然ながら、全然納得できないのです。
家庭科の先生は、
勝手にどうぞスタイルで授業をされているので、そのように子どもが動いているだけであって、
子どもは何も悪くない状況。
が、
突然、職員室から来た担任の先生から、
上からガツンと押さえ込まれるように
言い放たれたのが、
受け止められないのです。
結果かなりのストレスを溜めているようでした😣
私の関わり方
私は、その話をまず受け止めました。
たしかにおかしいよねと。ちゃんと図工をしていたよねと。
私に話をして受け止めてもらえたことで少しすっきりした表情だったように勝手に感じています。
「ストレスたまる~」から、「また、明日聞いてください」となったからです。
根本的な解決にはなるわけでもなく、
あくまで子どもの前に立つ大人の責任です。
チーム!教師と保護者!
数年ながら、小学校教諭として、担任を持たせていただいていました。
6年で、私なりに学んできたことも少しずつつづっていきたいと思います。
今日のテーマ「チーム!教師と保護者!」
吹奏楽部の顧問
教諭6年の間、吹奏楽部の顧問の担当をさせていただいていました。
新任1年目は、主の先生の指導補助をさせていただいていました。2年目から、主の顧問として担当することになり、全くほぼ分からない状態。
とにかく、良いのか悪いのか分からないがいろんな方々の指導方法を真似してやってみました。
当時の勤務校の市では、音楽教育に力を入れていました。
年に一度「市内音楽会」という行事があり、5つの市の金管バンド部や吹奏楽部が発表し合います。
よって、保護者の方々も数々の発表の場を楽しみにしておられるし、期待も大きいものでした。
困ったことが発生!
演奏を発表する際には、ユニフォームを着ます。
ある年の部員数が、ユニフォームの数よりも多くなったことがありました。
そこで、上着は購入しました。
しかし、下のスカートは、手作りのため購入できなかったのです(以前の顧問の先生が家庭科専科の先生だったようです)
母となり、ハンドメイドをしてる今の私は、
ギャザーのよっただけのスカートは、それほど難しい手順でもなく縫うことができます。
当時の私は、スカートの準備をすることが、ものすごくものすごくハードルの高いものでした。ミシンなど、小学校以来触れたいと思ったこともなかったですから。
そこで、私はスカートをなしにすることにしました。
市内には、同じユニフォームの上のみを着て、下は、短パンで披露している学校もあったこともあったからです。ユニフォームの見本の写真も短パン姿でした。
今思えば、子ども達の気持ちをしっかりと聞けばよかったのですが、それさえもできませんでした。
反省の嵐です。
保護者の方々登場!
ここで、初めて子ども達の気持ちが分かることが起きます。
ある日、保護者の方2人が、学校に来て私に会いに来たのです。
吹奏楽部通信でも、ユニフォームについて触れていなかったこともあり、
保護者の方は、なぜなくしたのかと直接私に聞きに来られました。
私は、数が足りないし作れないと困ったことをお話ししました。
それを聞いた保護者の方は、
「私たち作りますよ。」と。
「え!?」
おそらく、子どもからどうしてなくなったのかを聞いて、いろいろ考えてくださっていたのだと思います。
私には、全くその発想がなかったので、本当にびっくりしました。
また、その時初めて聞いたこともありました。
入部の理由の1つとして、子どもたちは、スカート付きのユニフォームのあこがれがあったようです。
その気持ちを知っている保護者の方は、どうにか子ども達の気持ちを受け取って実現させたかったのでしょう。
私は、その気持ちも全く知らずして、それほど悩むことなくせばいいとしたのです。
お知らせもしませんでした。
その後、教頭先生にその費用を学校から出せないかお願いしました。
私は、その予算内で保護者の方にお願いしました。
生地選びから、買い物などすべてを保護者の方にすべてお任せです。
保護者の方が「私たちがやるから先生、大丈夫ですよ。」
と言ってくださったのです。
そして、これまで使ってきたスカートがすべて保護者の方々の手によってきれいに生まれ変わりました。
そして、6年生は、最後の運動会のマーチングをこの新しいスカートを着て演奏することができました。
私の結婚式では、6年生(保護者の方の子どもの学年)がそのスカートとユニフォームをきて式場で校歌を演奏してくれました。
遠い式場で、しかも待ち時間が長く申し訳なかったけれど、私の人生で忘れられない音の響きでした。
この出来事から学んだこと
①保護者の方々のパワーをお借りするのも大切!
保護者の方も教師も、「子どものために」という思いがあることは同じ。
共通点がある。だからこそ、保護者の方々は動いてくれます。
学校と一緒になって子ども達の成長を見守っていきたいと思っていてくださっているのです。
教師が、どんなに初心者でも子ども達に一生懸命に関わっている姿を保護者の方々も感じていただくことができたら、必ず助けてくれます。
保護者の方々の力は本当に大きいです。
このパワーを味方にし、チームとして子ども達に関わっていったほうが、絶対に子ども達のためになる。
そう、強く感じた出来事でした。
断られてもいい。丁寧な偽りのない素直な気持ちで丁寧な言葉で保護者の方々に協力をお願いすれば、必ず力になってくれます。
②保護者の方が、相談しやすい話しやすい教師でいること!
保護者の方から声をかけてくれることがなければ、
私は、子ども達の気持ちも分からなかった。また、スカートも生まれることがなかったでしょう。
「いつでもきてください」という雰囲気を出して、これからも保護者の方々と関わっていく必要があるのではないでしょうか。
☆clubhouseを聞き始めました。学校教育に保護者を巻き込み一丸となって教育していくことの大切さを感じました。ふと、この出来事を思い出し、残しておくべきだと考えつづりました。